こんにちは♪管理人のSAKUです♪11月8日(金)放送の【中居正弘の金スマ】にアジャコングさんが出演します。アジャコングさんといえば、元女子プロレスラーで有名な方で、女子プロレスラーブームの火付け役といってもおかしくない選手ですよね。
今回は、そんなアジャコングさんについて以下のことを調べてみました。
◎アジャコングさんの今現在は?
◎アジャコングさんの両親について
◎アジャコングさんがプロレスラーになった理由は?
では、さっそくみていきましょう♪
アジャコングプロフィール
まずは、アジャコングさんについてみていきましょう♪
名前:アジャコング
本名:宍戸江利花(ししどえりか)
生年月日:1970年9月25日
出身地:東京都立市
身長:165㎝
体重:108㎏
所属:超花火プロレス
WAHAHA本舗
アジャコングさんの父親は、アフリカ系アメリカ人で米軍立川基地に勤務していました。
母親は、日本人でアジャコングさんの本名「江利花」という名前は父親がエリカ属の花から命名したそうです。
アジャコングさんの父親と母親は事実婚で、幼少時に父親の突然の本国召還のために離別し、アジャコングさんは母子家庭で育ちました。
小学5年生の時に立川市から昭島市へ引っ越しし、小学校時代は母親のすすめで空手を習いました。
「混血」などとからかわれ毎日のように、中学卒業まではケンカをし、いじめに悩み続けていたそうです。
中学では、バレーボール部に所属していました。
アジャコングさんは、空手にバレーボールにとスポーツが好きだったんだね♪
アジャコングの今現在
アジャコングさんの今現在は、OZアカデミーに所属しながら、「長花火プロレス」の代表取締役も兼任しています。
アジャコングの両親の詳細は?
アジャコングさんの両親についてみていきたいと思います。
アジャコングの父親
アジャコングさんの父親は、アフリカ系のアメリカ人で米軍立川基地に勤務していました。
在日アメリカ空軍・立川基地として空軍の部隊が配置されていたそうで、アジャコングさんの父親はアメリカ空軍に所属していたと考えられます。今は立川基地は返還されています。
父親は、アメリカ本国からの帰国命令で、アジャコングさんが5歳の時にアメリカへ帰ったそうです。
アジャコングさんの父親の年齢や顔写真は、調べてみましたが公開されていないようで、情報がありませんでした。
アジャコングさん、自分の父親に会いたいって思ったよね。きっと。
アジャコングの母親
アジャコングさんの母親は、父親が本国に帰ることになってしまい、女手一つでアジャコングさんを育てられています。
アジャコングさんの母親は、毎日働きに出ていたので、小学校3年生くらいから自炊をしていたそうです!
アジャコングさんのお母さんは、娘を育てるのに必死で働いていたんだね!それにしても小学3年生で自炊してたなんて凄い!!
母親の手料理で覚えているのが水餃子だといいます。
作るのに手間がかかるから、2、3ヵ月に1回くらいしか作ってくれなかったそうですが、週1でも食べたかったくらい美味しかったそうです。
1990年にアジャコングさんの母親は、肝臓癌で亡くなられたそうです。
母親が亡くなった時には試合会場にいましたが、理由も告げられずに試合の繰り上げを申し渡されたことで母親の死を察したそうです。
リングの上で、対戦相手が涙を流してアジャコングさんに向かっていったんだって。対戦相手にも事情を説明していたから、悲しみが込み上げたんだよね(´;ω;`)ウッ…
アジャコングがプロレスラーになった理由
アジャコングさんがプロレスラーになったきっかけは、空手着を着ていた長与千種さんを見て、女子プロレスラーになりたいと思ったそうです。
物心がついたころから男子プロレスはみていたというアジャコングさん。
アジャコングさんは、自分も空手をしていたことから、ビューティ・ペアの時代にいたビクトリア富士美さんが空手着を着ていたことから共感し、観るようになりました。
そのあと、長与千種さんが空手着を着ているのを見て、女子プロレスラーを目指すきっかけになりました。
プロレスラーになって、プロレスのいろはを教えてくれたのはジャガー横田さんだそうです。
プロとはなんぞや?と教えてくれ、体を張って叩きのめし引き上げてくれたのがブル中野さんでした。
ブル中野さんがいなければ、ここまでにはなれていなかったと語られていました。
そして、一度も引退をしていないという生き方をしてきた、ジャイアント馬場さん。
プロレスラー・ジャイアント馬場のままで、亡くなった時が引退式という、最後までリングに上がり続けたジャイアント馬場さんのような生き方を目指したいそうです。
まとめ
アジャコングさんの今現在と両親について、また、プロレスラーになった理由を調査してみて分かったことは・・・
◎アジャコングさんの今現在は、OZアカデミーに所属しながら、「長花火プロレス」の代表取締役も兼任している。
◎アジャコングさんの両親は、父親はアジャコングさんが5歳の時にアメリカ本国から帰国命令があったため、アメリカへ帰られたそうです。
◎母親は、旦那さんが帰国することになり、女手一つでアジャコングさんを育てた。
◎1990年に母親が肝臓がんで亡くなられた。
◎アジャコングさんが女子プロレスラーになったきっかけは、長与千種さんが空手着を着ていたのがきっかけで女子プロレスラーになった。
いかがだっでしょうか?
Netflixの『極悪女王』で再び話題を呼んでいる全日本女子プロレス。
ブル中野さんと壮絶な抗争を繰り広げ、今も尚且つ活躍しているアジャコングさん。
生涯現役を目標だと語っているアジャコングさんのこれからにも注目が集まりそうですね!!
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