こんにちは♪SAKUです。ケニアで障がい児支援事業「シロアムの園」の代表を務めている公文和子さん。
ケニアでは、障がいへの理解がまだまだ低い社会で、子どもたちやその家族へのサポートをする事業を立ち上げた公文和子さんが9月15日(日)23:25~情熱大陸に出演します。
今回は、そんな公文和子さんの以下のことについて調べてみました。
◎公文和子さんの経歴について
◎公文和子さんがケニアで施設を作った理由について
では、さっそくみていきましょう♪
公文和子(障がい児支援事業代表)経歴
公文和子さんの経歴をみていきましょう♪
1968年 公文和子さんは和歌山県に生まれる。
父親の転勤に伴い、幼稚園~高校時代は東京で過ごす。
1988年 北海道大学医学部入学
1994年 小児科医として働き始める。
2000年 リバプールへ留学。1年間、熱帯小児医学を学び、その後シエラレオネへ。
2002年 ケニアでJICAや国際NGOで働き始める。
2015年 障がい児とその家族のためのキリスト教主義の施設「シロアムの園」を設立する。
2021年 ナイロビ郊外の土地に新しい施設を準備中。
公文和子さんは、障がい児支援事業「シロアムの園」の代表を務め、日本人1人でケニアのスタッフを束ねているそうです。
経営に関する事務仕事に経理もされるそうです!
朝の会や授業の時にはピアノも演奏するんだって!公文和子さん、ピアノも弾くなんて凄い!!
オフィスの中に作られた処方部屋で、子どもたちの薬を処方したり、具合が悪い子がいれば聴診器をあてて、体調をチェックしたりする。
公文和子さんの本職は小児科の先生なんだよ!!
公文和子がケニアで施設を作った理由
公文和子さんは、「途上国の障がい児と共に生きたい」との思いから、寄付を募って2015年に療育施設を首都のナイロビ郊外に開設しました。
公文和子さんは、2002年に国際協力機構(JICA)のエイズ専門家としてケニアに赴任し、後に国際非政府組織(NGO)や民間診療所でも働いた時に、障がい児と家族が抱える困難を目の当たりにし心を痛めたそうです。
ケニアには日本の児童発達支援センターのような専門家が少なく、その子、その子にあったケアや教育を受けられないといった状況があったそうです。
障がい児と家族に対して、差別や偏見があるなんて(´;ω;`)
家庭崩壊に至る家族が多いことを目の当たりにして、公文さんは障がい児とその家族をまもるべくして、動いたんだよね!人の為に動ける、公文和子さんって凄いよね!!
療養施設の名前は、イエス・キリストが目の見えない人を癒した池にちなんで「シロアムの園(その)」と名付けたそうです。
現地の理学療法士のスタッフ、約20人と共に運営され、0歳~14歳の約100人がこれまでに利用しているそうです。
ケニアでは、障がい児や療育への理解があまりないため、「シロアムの園」では、専門知識を生かした支援で子供の成長を促して、母親の疲労や孤独といった精神的な気持ちも和らげていったそうです。
ケニアの公的な奨学金制度の対象施設になるなど、「シロアムの園」は教育機能も評価されたのです。
障がい児のを持つ家族にとって、心のよりどころになり、たくさんの人たちが公文和子さんに救われたに違いないですよね!
まとめ
以上が、公文和子さん(障がい児支援事業代表)の経歴とケニアで施設を作った理由について調べてみました。
◎公文和子さんは和歌山県に生まれ、父親の転勤で幼稚園~高校までは東京で過ごす。
◎北海道大学医学部を卒業後、小児科医と働き始める。
◎2000年にリバプールへ留学し、熱帯小児学を学んだ後、2015年に寄付を募って療養施設「シロアムの園」を設立する。
◎公文和子さんは、「途上国の障がい児と共に生きたい」という思いから、ケニアに施設を作る。
いかがだったでしょうか。
障がいのある子どもたちやその家族と寄り添いながら、ケニアで小児科医また、施設の代表としても務めている公文和子さん。
そんな公文和子さんの活動をこれからも同じ日本人として応援したいですよね!!
情熱大陸の放送も見逃せません。みなさんもぜひ、ご視聴くださいね!!
コメント